朝、ベランダの水道の蛇口を回せなかった。凍っていた。
水は、低いところへ流れる。
このあたりの水は、広域で写真↑のところへ流れていく。水を汚せば、必ずそこへ向かっていく。
自分の起こしたことが、終末どうなるかを見通して行動することが大事。わかってはいる。
ふと時間ができたとき、心からわいてくるしたいこと。
それがその人の本質だろう。
社会に生きる自分のもやもやを晴らせてくれて、自分が自分でいられて、生きていると実感すること。
ふと、読みたくなる本。ふと、書きたくなること。
余裕があって、ものごとを俯瞰できると人はやさしくなれる。
もっと、ひと呼吸おいてから、話す人が世の中にふえたらいい。
どうして、矛盾することを平気で言って、自分のその言動のおかしさに気付いていないばかりか、自分はすごいんだと思っているような人の多いことか。
もっと、静かに振り返ろう。
すべてを遮断して。
昨日は節分。用事で1日出かけていて、夜7時頃にスーパーへ寄ると、早くもおいしそうな恵方巻がほとんど20%オフくらいで売られている。
ご利益も20%オフだとこまるなあ、なんて冗談もいいつつ高1息子「食べたい」ということで購入。
「お腹すいた」と車の中でパックを開けようとして、「恵方はどっちだ」。
スマホで調べて「南南東」らしい。
そこで、アプリで方位磁針を出して、方角を見つけて食べようとしたところ、車中なので右折したり左折したりするたびに、方向が変わる(笑)。
首をあちこちに向けながら、なんとか正確に南南東をさがして食べきった!
…しかしながら、食後にスマホ検索していた息子「あっ!2024年の恵方は東北東だった!南南東は2023年だって!」という残念な話になりました😅
それにしても、スーパーの恵方巻、大量にあまっていたな…
昨日のうちに、売り切れただろうか。
この角度は、水上からである。
陸にいるのじゃない。
しかも、なかなか転覆しない柵のあるようなボートじゃない、ぎりぎりの不安定感で水の中では生きられない人間が、水上にいるのである。
非日常以外の何ものでもない。
その中で、地球のために拾われるべきゴミを拾うのだ。
生きる活力。
いそがしい、いそがしいで仕事のことばかり毎日考えている。
それも悪くないけど、魂がけずられていく思いがするのはなぜだろう。
仕事は自分を豊かにするためにやれていると思う。
いちばんきついのは、ひとの意見にゆさぶられることだ。
もちろん、すなおに聞く耳も持ちたい。
けれど、相手の矛盾や理解できない論調にひとつひとつはてなと反論が浮かんできてしまうのが本当に自分をむしばむ。
つかれる。
リフレッシュってホントに大事だと思う。
まったくべつのことを考えたり、意識的に違う角度から見つめてみたり、
いそがしいからこそ、却って文章をふらっとコンスタントに書いてみたり、
魂と自分がきずつきすぎないように進んでいこう。
新しい場所でも
訪れる人が笑顔になるように
そこに佇んでいることでしょう。
きっとこのあたりから来たのでしょう。
近くを通ったよ。