「はらぺこあおむし」の絵本、ついにこんなのが出たのね。

英語でもよめるはらぺこあおむし

英語でもよめるはらぺこあおむし

翻訳で読んで、いいなあと思う絵本は、原書でも読んでみたい。

ということで、子どものためというよりは自分が楽しんで、Amazonという便利なサイトを知って以来、原書の絵本をいろいろと購入するのが趣味でしたが、これからはこんなふうに併記された絵本がどんどん書店に並ぶと、ますますニホンも国際化してるんだなあと実感しますね。

ということで、いろいろなものを読み比べていると、原書のニュアンスが翻訳で伝わっていない、あるいは故意に変えているのだろうな、と思われる箇所を多々見つけることができて、その発見のたびにひとりニヤニヤして、いやそれだけでは物足りなくて、誰かに話したい、と思うのは今も昔も変わりません。

はらぺこあおむし」の読み比べでは、前から「?」と思っていたことを、つい最近メリッサ先生(息子が通う英語のサークルの先生)にふと聞ける機会があって、話したところ「そうかもね!」と互いに盛り上がってしまったことがあります。

はらぺこあおむし」は、毎日いろいろなものを食べていましたが、日本語訳ではこうです。

「りんごを 一つ みつけて たべました。」

「木ようび、いちごを 4つ たべました。」

「(たべたものは)チーズと サラミと・・・」


それらの部分は、原文ではこうです。

he ate through one apple.

...On Thursday he ate through four strawberries,..

he ate through...one slice of Swiss cheese, one slice of salami,..


原文を見てみると、「ate through」という表現が気になります。

「ate」だけなら、「たべました」で良いのですが、「through」が付くと、直訳すると「食べ抜いた」、つまり、絵本の中の絵に本当にくりぬかれた穴があるごとく、ちょうどいろいろなくだものの真ん中「だけ」を、穴を開けながら食べた、という意味になるのです。

でも、日本語訳の「りんごを 一つ~たべました」では、読むほうとしては、「りんごを丸々全部食べた」というような感覚で読んでしまいませんか?

それから、「チーズと サラミと」なども、絵に描かれているひとかたまり全部食べたのかな、という感覚で読んでしまうのです。

でも、英語だと「a slice of」なので、かたまりの中の一枚だけ、さらに「through」なので、正確には穴をあけた部分だけ食べた、ということになります。

となると、比べてみると、原文のthe very hungry caterpillerは、お腹が空いていたといっても、いろいろなものを一口ずつ食べたのに対して、邦訳の「はらぺこあおむし」はそれ以上の、相当の量をお腹に入れて、その後の「腹痛」も比較にならないほどひどかったのではないか?!というふうにも読めてしまうのです。

英語では数を数えるのに単数形と複数形があるように、ものの「数」そのものにこだわる。

日本語では、そのあたりはあいまいだが、ものの「数え方」にはこだわる。「たんす1棹(さお)」「うさぎが2羽」のように、美学とも言えるほどに、日本人でも間違ってしまうような数え方が実にたくさんある。

・・・これに限らず、読みくらべることでできる発見が、それぞれの文化を背負っているとわかる、深いものであるように、自分を高められるといいのだけど。