私が子どもに伝えられることは何だろう。

つれづれに、思い起こしてみようと思った。

歳時記風に、主に食に関することになる。

1月。私の祖父母の家(現伊勢崎市)では、年末に親戚で集まって、餅つきをした。

庭で、かまに火をたき、せいろでもち米を蒸して、大きな餅つき機(サンヨーに勤めていたおじが調達したもの。)でもちをついた。もちは、使用済みのビニールの米袋に入れて、のしたり、中にあんこを入れてまるめて「アンコロモチ(高崎から嫁いできたおばさんは「アンピン」と言っていた)」を作ったりした。

母方の桐生の実家では、きねとうすでもちをついていた。

どちらも今は、みな高齢化して見られない光景となった。

そんな今。私は、小さな餅つき機ででもいいから、家でおもちをついて、つきたてのもちを、きなこもちでも納豆餅でもからみもちにでもして、食べてみたいのである。


2月。節分。お面をつけたお父さんを鬼にして、「福は内、鬼は外」をする。家の中に投げた豆は年の数だけ拾って食べる。緑茶に豆を入れて豆茶にして飲む。

焼いて食べたイワシの頭を玄関の外に置く。

たいがい、どこかのネコにイタズラされて、翌朝にはボロボロになっている。


みそ作りをする。

「わの会」中島さんのお宅での味噌作りはほんと続けていただきたい&参加し続けたい!。

8キロのカメに詰める。

T家の消費量の、半年以上は持つようだ。

私は、この「ホンモノの味」にホントーにほれ込んでしまった。

これだけで、みそ汁がほんとにうまい。


3月、桃の節句

私の雛人形は、ガラス箱に入った5段飾りだった。

やっぱりガラス箱に入っている市松人形たちも周りにたくさん飾った。

サトカには、親王とおひなさまだけでも、リビングの出窓なんかに飾って、ちらし寿司を作ったりなぞして心から祝ってあげたいと思う。



4月、進級、進学。

身内に何か祝い事があれば、祖父母の家では赤飯をたいて、親戚じゅうに配った。

やっぱり庭で、火をたいて作る。

そして必ず、おばあちゃんがごまと塩をあわせてフライパンで炒ったこうばしいごま塩が、アルミホイルにくるまれて、添えられている。

赤飯をもらったその日、ほかに何か特別な、豪華な料理がのぼるわけではなく、またわざわざその時に家族がことさらに祝いの言葉を口にするわけでもない。

けれど、食卓に乗せられたお赤飯のお茶碗から、自分の祝いごとを家族親戚が祝ってくれている、とさりげなく感じられることに、はにかむような喜びを覚えた思春期の頃を思い出す。

今、家では、祝いごとのときは、炊飯器で赤飯を作る。

乾燥したささげから作ることもあるが、すでにレトルトになっていて混ぜて炊けばすぐに赤飯、という便利なものを使うこともある。

簡単でも、ちょっとしたうれしいことにお赤飯、というちょっとした喜び、を感じられる食卓は続けていけたらいいな、と思う。


続く。