東京のひいおばあちゃん

お義父さんのお母さん(子ども達のもうひとりのひいおばあちゃん)ご来訪。

3泊して行かれる。

子ども達は初対面。

私は結婚式のとき以来でお会いするのは2度目。

戌年生まれで今度86になられる。

もう年で体が弱ってしまったのでうちに来られるのは最初で最後かも…とお義父さんから聞いていたので心配していましたが、とてもお元気そうにみえて、私はお話できたのがうれしかった。


ーおばあちゃんはずっと東京なのですか?

ーええ、3代続かないと江戸っ子じゃないって言うのでねえ、うちは2代だから「へどっこ」(笑)くらいなものだけれども、私の父は早死にしたもので、おじの家で暮らしたことがあったの。父の兄であるおじは建築家で、目黒に雅叙園があるでしょう、そこの隣に住んでいたの、戦前の話よ。建築家だから自分の家にも凝ってね、それで20畳くらいの居間があって、椅子にこしかけるとちょうど大きな窓から富士山が見えるのよ、まるで一幅の絵のように。当時はビルなんかなかったでしょう、私は本当にその景色に心安らいだの。

そこからK女子大にお勤めだった○○先生のところへ料理を習いに行ったりなんかしてね、欲を出せば栄養士の免状なんかももらえたんだけどねえ、まだ若かったからそこまで考えなかったのね。それで宮内庁にいらしたオオクボ(漢字はわからない;紀)っていう貴族の、当時は侯爵伯爵…ってあったでしょう、だから「おとのさま」って呼んだのよ、そのお宅におつとめしないかって話があってね、そこでお料理なんかもひととおりやったのよ、今から考えると度胸がよかったのねえ。

そのお宅には娘さんがあってね、私よりもひとつふたつ年下だった。それで何かっていうとお着物を新調するのに真っ白な反物を京都まで送ってね、それを染めてもらって仕立ててもらうのよ、それをお嬢様がお召しになるのだけど、2,3回着て気に入らなければみんな私にくださるのよ、ちょうど背格好が私と同じくらいでね、それがぴったりなのよ。それで私が結婚するときなんかふた竿分くらいはあったの。それがね、姑に全部持っていかれちゃった(笑)。

お嬢さんは日本画を習っていらしてね、上村松篁(しょうこう)先生のところへなんか行かれていたのよ、それでわたしはおつかいをたのまれるでしょう、絵がばーっと飾ってあったりしてね。息子さんはまだ赤ちゃんだったかしらね。

それからだんなさまはしょっちゅう晩餐会やらいろいろな集まりにお出掛けで、帰りが夜中を過ぎるのよ、それでも必ずコックや何かにもみんなにおみやを持ってきてくださってね、ナポレオン(お酒)やらなにやら、サンドイッチとか甘いお菓子だとかくださるのよ、それで味を知っちゃったのね、だから夫は面白くなかったみたい、何をくれても驚かないから(笑)。

結婚のとき、奥様が言ってくださったの。「もし何か嫌なことがあったらいつでも戻っていらっしゃいよ」って。

私はそれがうれしくってねえ。でも一度嫁に行った者は、一晩床を一緒にしただけでも当時は「傷物」っていうでしょう、だからもう何があっても帰れない、って我慢したのよ。それでもそう奥様がおっしゃってくださったことがほんとうにうれしくってねえ(思わず涙ぐむ)。

結婚の時、舅がやってきてね、「息子がフクさんのことを気に入ったから」って言うのよ、でもほんとはそうじゃなかった、夫には「フクさんが気に入ってね」ってことになっていたのよ。当時はそんなお見合いだったからね。


ーこの写真は?(パパが幼稚園にあがる前の頃、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に写っている。裏は雑木林)

夫は工場(こうば)をやっていて、一番いいときに那須に土地を買ってね、ここに(別荘を?)建てようって。お隣も、ここはいいですよ、朝は雉がケーンケーンと来てね、すばらしいですよって。それでいい大工さんも紹介します、ってことだったんだけどね、結局はそのまま。今になって「売りませんか」なんて電話がよく来るんだけど、私こんな性格でしょう、買いたいならなにやかや細かいことを言ってないで、全部調べてちゃんと決まってからもういちどかけてきなさいって言ったのよ、こちらは役所にこういう電話が来たんだって言ってあるんだから、って威勢つけたらぱたっと来なくなったの、ほら最近そういう詐欺が多いでしょう、だから腹が立ってねえ、私は騙されやしないわ、って。



子どもを育てているときがね、一番大変だけどいちばん人生でいい時よ。花よ。私は4人子どもがいるけれどね、みんな大きくなっちゃうと離れちゃうもの。手の届かないとこへいっちゃってね。

今度一番下の娘のところで世話になるんだけど、その子がお嫁に行って、最初の子をうちで産んだときにね、旦那さんのお父様が、初孫でそれはそれはかわいがって、世田谷の家から三田まで毎晩のようにお風呂を入れにくるのよ。それでチュッチュチュッチュやるでしょう、そのうち子どもの顔がおかしくなってきてね、これは大きな病院に連れて行ったほうがいいってことになって行ってみたら、肺炎になっていたの。それで先生が「家族構成を教えてください」って言うのよ。だからこれこれこうで…って年からどこへ勤めているとかぜんぶお話したの。そしたらああわかりました、これは馬の風邪です、って。あちらのお父様は農水省の方で奥様はその関係で大井競馬場でお金を数えるお仕事をなさっていたのだけど、そこから馬のを持って来ちゃったのよ。奥さんから、ご夫婦だからお父様に移って、それから孫へ。かわいがるのはいいのだけど新生児のうちはあんまり皮膚やなんか接触しないほうがいいのよ。だから赤ちゃん、本当に抱っこしたいのだけど、外部の者はだめなのよ。

それでそのこと、娘には、原因はわかったけど口が裂けてもお父様には話すなって、かたく口止めしたの。だってそのことで折り合いが悪くなったらことでしょう、こちらが我慢していればいいの。でもねえ、ある時こうおっしゃるの、「Tさんの家は人の出入りが多いからねえ」って、ほら、うちは自営だったもので町内のこともあったし毎日2,3人ひとが来ないということはなかったの、そういうのをお風呂でいらしたとき見ていたでしょう、それでね。その時はのどまで言ってやろうかしらと思ったけど、ぐっとがまんしたのよ。

ー現在はそのお孫さんは? のちにいつかその事実をお父さんは?

さあ、どうかしらねえ…。孫はその時以来、何もなくって元気。ああ、いくつになったかしら。お父様も、その後どうだったのかしらねえ、知っていらっしゃったかしらねえ。




・・・おばあちゃん、若かりし頃の記憶を大切に、大切に生きているのでしょう。

それでも4人の子どもを持って、幸せだったのでしょう。

自分は無学で苦労したからって、なんとしてでも息子は大学へ、と願ったというようなこともおはなしでした。

ああ、その時代に思いを馳せました。



追記:おばあちゃんがいなくなった!事件

夕方、ユーキとおばあちゃんが帰ってこない?!

すぐ裏の農産物直売所にピーナツを買ってくる、と出かけたまま、ふたりともぽっかりと消えてしまった!

おばあちゃんはそんなに歩けないのに…とお義父さんは慌て、私もユーキが無理矢理におばあちゃんをお散歩にでも引っ張り回しているかと真っ青、車まで出して探しに行く騒ぎ。

が、ふっと東隣の床屋をのぞいてみたら…ちょっこり座ってお義祖母さん、平然と髪を切ってもらっているではないか!

ユーキのほうは待合いイスでおかみさんに駄菓子をいただいて満悦顔。

ほっ・・・としましたが、あとからなんだかクスクス笑えちゃった。

おばあさん、そんな方です。

うちにいてもきっと退屈なのよね、わかります。おばあさんのそのチャレンジ精神、見習いたいし、ほんといつまでもそんなふうにお元気でいてほしいです。