2011-09-22

柿の種 (岩波文庫)

柿の種 (岩波文庫)

久しぶりに本棚から取り出して読んでいます。

科学者であって文学的な文章を書く人の文章にひかれます。

その古典中の古典。

難しい論文はよくわからなくても、

思考の流れの一端に触れることができます。

科学者だから日常を科学の目で見て言葉をつむげるのか、

言葉を得るために科学をやるのか。

ニワトリか卵か、と思いをめぐらせます。

最近でいえば、

脳科学者・茂木健一郎さんのエッセイも

素敵です。



寺田寅彦wiki

青空文庫より「柿の種」全ページ

その中より、ちょっと印象に残った一編を。

一日忙しく東京じゅうを駆け回って夜ふけて帰って来る。

 寝静まった細長い小路を通って、右へ曲がって、わが家の板塀にたどりつき、闇夜の空に朧な多角形を劃するわが家の屋根を見上げる時に、ふと妙な事を考えることがある。

 この広い日本の、この広い東京の、この片すみの、きまった位置に、自分の家という、ちゃんときまった住み家があり、そこには、自分と特別な関係にある人々が住んでいて、そこへ、今自分は、さも当然のことらしく帰って来るのである。

 しかし、これはなんという偶然なことであろう。

 この家、この家族が、はたしていつまでここに在るのだろう。

 ある日、一日留守にして、夜おそく帰って見ると、もうそこには自分の家と家族はなくなっていて、全く見知らぬ家に、見知らぬ人が、何十年も前からいるような様子で住んでいる、というような現象は起こり得ないものだろうか、起こってもちっとも不思議はないような気がする。

 そんな事を考えながら、門をくぐって内へはいると、もうわが家の存在の必然性に関する疑いは消滅するのである。

(昭和四年七月、渋柿)