2011年11月30日のツイート


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紅葉した街路樹の葉が落ちる。

乾いたアスファルトの上をかさかさと舞う。

あるいは今日のような小雨の降った日は、黄色いじゅうたんのようになる。

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今日は市役所の職員らしき人が、その太い枝ごと伐採し束ね

トラックの荷台に積み上げている。

落ち葉の掃除をするのが大変だから

散り落ちる前に切ってしまおう、というのだろうか。




アスファルトの上に落ちた葉。

伐採された枝にまだとどまっている葉。

どちらも土に返ることができない。




それでも木たちは自分の運命を嘆かない。

心が痛むのは

彼らに自分を重ねて見る必要がある

ひとにぎりの人間だけなのだろう。





ママ「落ち葉さんたち、土に戻れなくって、かわいそうだね。」

げん「じゃあ、土にうめてあげたら?」

ママ「そうだね」

げん「土にうまったら、どうなるの?」

ママ「生えている木の、えいようになるんだよ」

げん「またそれではっぱがおちてきたら?」

ママ「またえいようになるんだよ」

げん「くりかえし、くりかえし?だね!」

ママ「そうだよ、くりかえし、くりかえし。」




何かの絵本みたいなこと言うなあ、と思って

すぐに

そうじゃない、と思った。

子どもの存在自体が絵本、なのだ。




そしてそれが「たった今」の真実。