【さあ、オレたちの時間だ!】

小6息子、最後のサッカーの試合を観に行った。

相手にとってもこちらにとっても、メダルがかかっている大事な試合だ。

お互い点の取れない、緊張した時間が続いたが、

チャンスは突然に訪れて、こちらが一点、先取することができた。

このまま行けば、息子のチームは「銅メダル」をとることができる。

けれどももし引き分け以下なら、メダルなし、という結果が待っている。

それに対して相手は勝てば「金」、負ければ「銀」だ。

(いずれもこれまでの他チームとのリーグ戦での得失点差による。)

相手だって「金」がほしい。

残り数分。

相手は「金」をかけているチームだけあって、とても手ごわい、強いチームと見えたが

こちらも負けてはいない。

なんといっても、「銅」でもメダルか、メダルなしでは雲泥の差。

卒業の6年、最後の試合で何としてでもメダルがほしい。

その気迫で、こちらの方がまさっているようにも見えていた。

その瞬間。

<さあ~オレたちの時間だ!!>

相手のコーチが選手たちに向かってさけんだ。

<???>

私たち観戦している親は、一瞬そのコーチが

何を言っているのか、理解できなかった。

それまで相手コーチは

<オマエら負けてもいいのか!>

<そこぉ見てんなよ!!(ボーっとしていないで自分で動け)>

といった鋭い言葉を選手たちに向けていて、

相手の選手たちはその怒号に一生懸命応えようとしていた。

そこへ来て

<さあ~オレたちの時間だ!!>

である、残り数分の、一点先取されている展開のゲームの最中で。

その時。

さ~っ、と相手の選手たちの動きが、パッと一つのかたまりになったように見えた。

その言葉に、みないっせいに鼓舞されたのだ。

相手チームの波動が、一気にこちらにぶつかって来るようだった。

けれども、それに合わせるかのように、

こちらの動きもそれまで以上に増して素早くなった。

<ボールは外に出せ!(時間をかせげ)>

こちらのコーチのかけ声にも気合が入る。

ピッピー、試合終了。

勝利だ、逃げ切った。

みんな、全力でよく戦った。


<さあオレたちの時間だ!>。

この言葉を、相手チームのコーチが

これまでいざという時の決め文句にしてきたのかどうかは、

私にはわからない。

けれども、相手チームの選手たちは、その言葉に確かに反応した。

それでも、息子たちはひるむことなく勝利をかちとることができた。



もしかすると、<オレたちの時間>は

どちらのチームにとっても<オレたちの時間>で、

あの時、

その言葉のパワーがひとりひとりに波紋のように

伝染していったんじゃないか、と

夜、今になって考えた。


ここ一番の<オレたちの時間>は

同じ時代を生きる若者たちにとって

これからも同じときに現われることだろう。

その時に、<その時間に>負けるな、君たち。

銅でも銀でも、せいいっぱいやったことは、きっと

誰かが見ていてくれて

自分の心にも一生残ることになるはずだ。