2016-06-29

【人に本をすすめるということ】

最近ある本がふと読みたくなって、本棚からひっぱり出してきて読んでいた。

すると息子(中3)が、「あ、その本教育実習の先生がみんなにすすめまくって(?)いた本だ」という。

瞬間、私は思わず「えーっ?」とすっとんきょうな声をあげてしまったほど驚いた。

この本の内容を、中学生がわかるとも思えない、わかったら大変だよ、と息子に言うと、

「ふーん」くらいでまったく興味はない。よし、それでいい。

だいたい、大学院生の25歳くらいの男の子にも、わかるんだろうか。

いや、わかるとしたら話が合いそうだ、いやいや、ちょっと気持ちが悪い(笑)。

とか思いながら、中の文章の、いいと思うところを声に出して読む。

(我が子にこれを音読してやるというのはギリギリの選択だ。)

お母さんはね、このこれこれこういうところの表現が好きなんだよ、

人の気持ちを、こういう言葉で描ける作家はなかなかいないんだよ。

だからすごく読まれているんだけど、この作家がものすごく好きな人もいれば、

何がいいかさっぱりわからない、大っ嫌いという人が半々くらいらしいよ。

娘(小6)「ふーん」。全然わかっていない。

うん、わからなくてよし。

と思う親心でわからない日々が続けばいいと思う反面、

こういう心の綾をわかる日が来てしまうのか、わかるほうが生きている甲斐があるというものなのか、

複雑な気持ちになります。

人に、本をすすめるというのは難しい。

自分の心をさらけだすような気がしてしまうから。

ある本は自分の癒しのためだけにあって、人にすすめる類のものではない。

どんなにそこを誰かに共感してほしいと思ったとしても。

というところで私はブレーキをかけるけど、

その先生、ブレーキかけられなかったのかなー。

なんて言いながら、こんなことを書いている私こそが誰かに共感してもらいたいんだ。

という笑い話です。