「もののとけ方」と言葉1

理科で小5の子どもたちに、先生は

「これから『もののとけ方』についての学習をします。

では、『とける』といったらみなさん、どんなことを思いうかべますか。」

と導入として聞きます。

すると子どもたちは

「バターがとける」「どろどろって感じ」「溶岩」「砂糖をコーヒーにとかすとか」「雪がとける」「固体が液体になる?」

など、自分のイメージしたことを口々に言います。

すると、先生は

「なるほど。ここでは、水に、何かをとかすってどういうことだろう、ということで、『水よう液』というものについて学びます。」

と道すじをつけて、本題に入っていきます。

が、この「導入」のところでじつは、すごく大きな問題がかくされている、と私は思っています。

日本語で、「とける」というと、溶ける・または解ける、などと書きます。

辞書を引くと、溶ける は、①かたまっていたものが液体になる②液体にほかのものが入ってまざり合う

などとあります。

なので、先の子どもたちのイメージを当てはめるとすれば、

バター、溶岩 などは、①にあたり、砂糖をコーヒーに・・・は②にあたるでしょう。

では、「雪がとける」といえば。漢字の学習として習うのは「解ける」です。が、「溶ける」と書く場合もあるようです。でも、感覚としては「雪が溶ける」だと、雪の温度が上がって水になるだけのことでなく、何かべつのものと一緒に「溶ける」ことを表現しているように感じてしまいます。

「解ける」は辞書を引くと、①むすんであるものがゆるむ。ほどける②消える、なくなる③わかる(例:クイズが解けた)

です。なので、「雪が解ける」は②にあたります。

 

「とける」という言葉ひとつで、こんなに幅広い表現ができてしまうのです。

逆にいえば、日本語(和語)の語彙の少なさがあらわれているとも言えます。

しかし、その一語における深さを、この理科の導入でもっと掘り下げて、

子どもたちと議論をする場にできたら、どんなにおもしろいだろうと私は思います。