続きです。
「水溶液」とは、「水に何かをとかしたとき、無色でも有色でも透明であること」
と5年生では学びます。
「にごっていたり、何かが沈殿(沈んだり)したら、『水溶液ではない』」というとらえ方です。
なので、「牛乳」や「墨汁」や「絵の具のまざった水」は、「水溶液ではない」のです。
高校化学の参考書をひらくと、「セロハンを通り抜けるもの」は「真の溶液」であるとあります。そして「セロハンは通り抜けないが、ろ紙を通るもの」は「コロイド溶液」であるということで、墨汁や、牛乳などを挙げています。
そして、それら粒子の大きさを数字で示しているわけですが、そこまで理屈が書かれていれば、科学的に納得がいきます。
しかし、小学生の段階では、「目で見て」にごっていて、透明ではない と思えば、「水溶液ではない」と考えるわけです。
なんだかそんなの「科学的でない」と思ってしまいますが、それでもいちおう墨汁や牛乳はけっこううすめたとしても、にごっている、と感じられたりするので、「目」というものは意外にも正確なんだな、ととらえることもできます。
ある先生が、「とける」と「まざる」は違うのだ、とおっしゃっていました。
「とけている」は水溶液で、そうでないものは水に「まざっている」状態なのだと。
なるほど、それぞれをイメージしやすい、と思いました。
ただ、日常生活の中では、「水溶液」ではないのに「絵の具を水に<とかす>」とか、「水溶液」なのに「コーヒーに砂糖を<まぜる>」などと使うものなので、厳密な使い分けは難しいですね。
それでも、このように言葉に敏感になると、あたらしい発見をしたようで、子どもたちもおもしろいと思うのではないでしょうか。