少年の日の思い出 読み比べ

 

多くの人に読まれている作品、私も子どもの頃読んで、チョウをにぎりつぶしてしまった少年の心の痛みに共感した。

少年のその動機が、とても美しいチョウを自分のものにしたかったら、というところから、私の想像の中でそんな「美しいチョウ」とはいったいどんなものだったのか。

挿し絵なども当時あったかもしれないが、私の記憶の中ではそのチョウは、構造色で七色の光をはなつ「モルフォ蝶」のようなものを勝手に想像していた。

しかし、我が子が中1で国語の教科書に掲載されているこのストーリーを読み、私もあらためて読んでみると、そのチョウは「ヤママユガ」という蛾だとはっきりと書いてある。

「蛾」かあ・・・となんとなくがっかりしてしまったのは、私が日本人だからだろうか?私たちは「蝶」と「蛾」を区別して呼び分け、多くの人にとっては「蛾」のほうを、夜に飛び、茶色っぽくて薄気味悪いものとして印象付けられているものだ。だから、教科書に「とび色のビロードの羽」だとか「優雅で果てしなく微妙な色をした羽の縁」などとその蛾を形容する美しい文言が連なっていても、「蛾なんだ」と思う気持ちが抜けきれず、自分のものにしたいばかりにうっかり手で握りつぶすなんてことまでしてしまうだろうか?なんて野暮なことを考えてしまうのだ(笑)。

そんなことを、最近考えていたら、冒頭に紹介した「岡田朝雄 訳」の本書を偶然に図書館で見かけ、借りた。

教科書のほうは「高橋健二 訳」だ。

読み比べてみると、じつに面白かった。

高橋さんが文中で「チョウチョ」と書いているところを岡田さんは「蝶や蛾」といっている。これには理由があって、<蛾と蝶には生物学的な意味での区別はなく、ドイツ語では一つの言葉で両者を表すことができる>と教科書でも補足されているが、そこを岡田さんは日本語訳として「蝶と蛾」と訳したかった、というわけだ。

ほかにも、昆虫に詳しい岡田さんは、登場する蝶や蛾の名前を正確にしるし、なんとヘッセの原文のまちがいまでも指摘されたそうだ。

「少年の日の思い出」といえば、教科書に載るほどの「高橋健二 訳」が有名であり、のちに岡田さんが新訳で科学的知識をもって正しく訳し直した、ということが私にはとてもおもしろいと思った。

さらに、あとがきを読むと、その岡田さんにとって、高橋さんは恩師であるという関係、高橋さんはヘルマンヘッセ本人から、この掌編が新聞に掲載されていた記事を直々にもらったのだとある。

そこまで知って、人と人とのつながりがこうやって文学作品を世に広め、さらには考証されてより深く作品が読まれるという関わりをうんでいるのだなと実感し、感動した。

よい読書でした。

 

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追記:amazonとかでレビューを見ると、蝶をとったこの主人公に対して、持ち主の鼻もちならない優等生が言う印象的な

「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」のセリフ。

この高橋訳に対し、岡田訳は

「そう、そう、きみって、そういう人なの?」

になっているということに、がっかりしたという意見を散見しました。

なるほど・・・。我が娘も、「つまり君は・・・」に強烈な印象を残していたようで、

あれを言われたらキツイよねー と言ってました。

たしかに、訳でずいぶん印象変わりますね。