・・というニュースが今朝からTVなどで盛んに取り上げられている。

この事件が起こったとき、私はちょうどユウキ出産のために帰省していて、実家のテレビでこの驚くべきニュースを知り、画面に釘付けになったのをよく覚えている。

あの時からもう5年か・・・と、いまだ鮮明なその記憶と、その後の5年間の育児の思い出を重ねて複雑な気持ちになる。

今日のその内容でとても気になったのは、事件の時、救出にあたった多くの人たちに、二次災害の被害が深刻だ、というニュースだ。

建物が破壊された時の粉塵を多量に吸い込んだ結果、気管支がやられ、ぜんそくに苦しんでいる人たちが多い、というのだ。

さらに、飛び散ったアスベスト、火災で発生したダイオキシンなどの有害物質によるガン発症の危険性も、かなり高くなると予想されているとのこと。

このような二次災害の被害を被っている人たちは、当時命がけで救出作業にあたった警察官や、現場作業員、ボランティアなどだが、彼らは事件が落ち着きをみせた後、自分の体までがこれほどにむしばまれるとは考えていただろうか。

病気のために仕事をやめざるを得なくなるなど、人生設計がまるで変わってしまった例も少なくないそうだ。

彼らは、国に保障を求めているが、国は事件との関連性を認めず、際立った対策はほとんど講じられていないそうだ。

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「二次災害」というのか、「思ってもみなかったのに」体が蝕まれていく、というケースは、身近にもある。

たとえば、何十年か前に毒性が強いために使用を禁止された農薬をコンクリートで固めて埋め、処理したはずが、年数を経て地中に溶け出し、地下水に流れ込んでいた、というニュースも最近あったが、知らずに飲用していたかもしれない周囲の住民の健康はどうなるのだろう?

ところで、この周辺(旧沼南町)も、一見まだまだ豊かな自然が残っているところだ。

けれども、近所で話を聞くと、「どこどこさんちのだれだれがぜんそく」「うちはアトピー」など、汚れた環境も一因とされる体質の子どもが多い気がするのだが、これが「最近はどこにでもある話」「気のせい」ならいい(というか、仕様がない)。

でも実際、近隣の松葉によるダイオキシン測定を続けている団体による、ここ周辺の松葉が他の地域よりダイオキシン含有量が高い数値が出ているとの報告も目にした。

原因は、ごみ処理場の煙・車の排気ガス大津川手賀沼、地下水の家庭や工業排水による汚染、などなど・・複合的に考えられている。

・・・現代日本人が生きていて、汚したものがすべて返ってくる形であって、子どもたちの健康をむしばむ汚染に怒りを向けるのだけれども、その矛先は自分たちにも向けなければいけないわけで、なんとも暗い気持ちになる。

それにしても、「一見自然豊かな」ところに、そういう汚染が特に進んでいるのが深刻だ。

都市部は、下水道などもきちんと整備され、ごみ処理場などは周辺地域に処理をまかせる。

産業廃棄物の不法投棄などが平然と行われているのも周辺部。

そこに住む住民は、目に見える自然に目をくらまされ、日常生活の中ではあまり気にすることのないうちに、目に見えない汚染にじわじわと健康を害されていく。

・・・話がテロの話からそれたけど、なにげない日常の中でときどきこの課題をふっと思い出させられるんだよね。そしてこの汚染への行動からなんとか抜け出すことはできないのか、と考える。

・・・「日々の実行」しかないんだよね。でも、「思うこと」をきちんとやりたいと思うと、ちょっとハードルが高すぎる・・・

※ところで、日本でいちばんぜんそくの人が多い地域、というのが「北海道」だ、という話を友人から聞いたのだが、

その原因は?環境破壊は少なそうなのに・・・というところでその友人とは会話が終わってたのだけど、思うに、それは「暖房」のせいじゃないかな?北海道は寒いので、薪ストーブだか石油ストーブだか、全館暖房する家が多いと聞くけど(実際北海道に旅行した時、ほとんどの家にえんとつが立っていて、その風景は異国へ来たようだと思った)その燃焼時の煙のせいで、ぜんそくになる人が多いのでは?誰か正解を教えてくださ~い。