2011-07-29

お葬式。

「悪いものを全部持っていってくれたんだね。」

「みんなを再会させてくれたんだね。」

かならず聞かれる、私の好きな言葉。

戒名を自分で付ける↓

戒名は、自分で決める (幻冬舎新書)

戒名は、自分で決める (幻冬舎新書)

なるほど・・・

死に際を考えるということは、

生を考え直すということ。


私は自然葬がいいなあ~

赤城山にまいてもらいたい。

と夫に言ったら、笑われた。

たとえば手賀沼を望む高台のお墓も、悪くはない。とても明るい雰囲気。

それでも故郷をはなれた感傷・切なさというものは、そういう状況にあった

どんな人でも多少はおもうものなんだろう。

たとえ、「桐生とあずま」と目と鼻の先にある距離だとしても、

母は「桐生の山にうずもれたい」と言っている(苦笑)。

飛び出したいとおもうのがふるさとであり、

はなれればこそもどりたいとおもう。

人間一生あまのじゃく。


ふるさとは遠きにありて思うもの

そしてかなしくうたうもの

           室生犀星


これは、単純に故郷を懐かしく思う、というよりは

ふるさとに対する屈折した思いが背景にある、というのは

よく知られたことです。



萩原朔太郎の詩も、思い出される。


帰郷


わが故郷に帰れる日

汽車は烈風の中を突き行けり。

・・・・・

嗚呼また都を逃れ来て

・・・・

過去は寂寥の谷に連なり

未来は絶望の岸に向へり。

・・・・



このとき、朔太郎は44歳だったそう。





ところで、朔太郎は私の故郷をひどく言ったものです。

もちろん、朔太郎の当時の心境を反映しているということに

なっているとは思うけれど・・・。




国定忠治の墓


わがこの村に来たりし時

上州の蚕すでに終わりて

農家みな冬の閾(しきみ)を閉したり。

太陽は埃(ほこり)に暗く

悽而(せいじ)たる竹薮の影

・・・・・

ああ我れ故郷に低徊して

此処に思へることは・・・・・

・・・・・・・・

・・・・・・・