2012-01-12

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菜の花が北風に揺れている。寒そうにちぢれて。

毎年寒風が吹き、霜柱ができる畑だけれど、

例年なら大根、ブロッコリー、青菜、ほうれん草、

びっくりするほどたくさんできる。

けれど、今年は我が家の区画には何の収穫物もない。




万が一、家族の誰かが

放射線の影響が考えられる病気を発症したとしたら、

この畑でとれた作物を原因のひとつには考えたくはない、と思う。

来年度も借りるのを継続するのかどうか、決めなければならない日がせまる。

5年間、我が家の別庭と思い、家族で楽しみ親しんできたのに、

残念、というひとことではすまない複雑な気持ちになる。



梅雨の晴れ間にはじゃがいも掘り。

夏は次々とピーマンやナス。

雑草の中で虫取りをした。

秋は火をたいてさつまいもを焼いた。

寒い冬、力まかせに大根を抜いた。

間引きをおこたってぎゅうぎゅうときつそうに並んでいたカブたち。

とうがたった菜花もおいしかった。

沢のわきにはセリが自生していた。

フキノトウもおすそわけしてもらった。



これが、ここ近隣や、福島などで

広い、本当の自分の土地で作物を作り続けてきた農家の方々ならどうだろう。

思いやれば、それこそ口びるを何度かんでも噛み切れない思いだろう。



なるべく遠くの産地を選ぶ、という食べ方を考える。

けれど、生きている場所の土地とつながれない生活には無理がある。

まるごと受け入れていくところからはじめなくてはならない。

汚れた手賀沼をみんなで少しずつきれいにしてきた、というような歴史があるように。



例えば新潟のお米でなく、

ここなら手賀沼の水を引いた田んぼで

丁寧な昔ながらの方法で育てたお米を食べる選択は

ここで生きる人の地に足の付いた生き方だと考えてきた。



天空の城ラピュタのように

たとえば都心の高層ビルに住み、

我が国から世界から、おいしく安全な食べ物だけをお取り寄せをして

機械ばかりのジムに通って体を鍛えるような生活は

ほんとうの生活ではない、と思うでしょう。




それでもどう生きるか、

たくさんの、それともいくつかの

選択肢が目の前に現われるとしたら

その中で

ひとつひとつ、丁寧に選んでいくしかない。

正解か

間違いか

わからないとしても

それを自分の決断として。










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先日、市民ネットワークの知り合いの方に測っていただきました。

腰くらいの高さで0.2。

畑の脇の、木が生い茂って溝ができているところは0.4。


その値だと、今の柏の中では通常レベルといえるそうです。




ちなみに関東あたりの事故前の大気は、0,02~0,04くらいとTVのニュースでは言っている。




そんななか、柏の北部の、立ち入り禁止になっているような公園は、0.6くらい、とか?



これらをどう考えるのか、です。





「畑の作物には、ものによってはうつりにくいものもあるし、

とにかく収穫したものを『ベクミル』(柏にできた、農作物や食品の値を検査できる民間の施設)とかに測りに行ったら?」

とその方はおっしゃっていた。

が、・・・・・。