2012-07-14

感動は、1点に集約されるのだ。



エリーゼのために」の最後の「♪レドシラ~」は

なぜそれまでの「ミ」ではなくて「レ」なのか。



ショパン「革命」のクライマックスの和音の連なりは

どうしてあんなにたたきつけられるような終わり方なのか。


ほか

月光も、幻想即興曲にしても

途中、はっと思う変化がある一小節があり

その部分だけのために他のすべてが存在していると思わせるほど

そこが感動の中心であり、そこを弾く恍惚に指が震える、のである。



人生もたぶんそうで

茨木のり子さんだってこう言っている。

「指折り数えるほどしかない

その日々の中の一つには

(中略)

<本当に生きた日>は人によって

たしかに違う

ぎらりと光るダイヤのような日は

・・・(後略)・・・」

1958年、32歳で発表。



ときどき、そんなこんなについて考える。