2014-12-01

最近、娘(小4)と<女子トーク>をするのがおもしろい。

娘はこのごろ『キラピチ』とかいう「JS(女子小学生!)雑誌」に夢中で、

「私も『読モ』になりたい!!」

などとキュンキュンしながら話す(笑)ので、

(親譲りの十人並みな容姿で何を・・・)

と言いたいところをぐっとおさえて、

「どうして?」

と聞くと

「だって雑誌に載っている子たちがみんな楽しそうなんだもん」

という。

・・・動機は悪くない、そうだね、楽しそうな子に憧れるのはいいこと、だ。

でも、ちょっとした間のあと

「あ~あ~、わたしももっと目がぱっちりしていて、いろじろで、モモがほそかったらよかったのになあ~~

(雑誌の中の)○○ちゃんみたいにハーフがよかったな~~」

とため息をつきながら言うので、

「そうだねえ~、でももしさとちゃんがハーフだったらそれはもはや今のさとちゃんじゃないよ」

などと答えていたら、昔読んだ本を思い出した。

家田荘子さんの本で、私が高校生の時にベストセラーになっていて、読んだ。

その本には、家田荘子さんの当時の結婚のことが書かれていて、

黒人の人と結婚するのにまわりからは反対されたけれど、生まれた子の肌の色が「オレンジ色」で、

それが本当にとても美しいと思った、というくだりがあった。

私はそこの部分にとても感動して、

「私も黒人のひとと結婚したい!」

と高校のクラスメートに宣言したら、一笑にふされたのだった。

今思い出すとあれは、

マイノリティーでも自分の感覚を曲げない強さと美しさに惹かれたせいだったと

言葉をつかって表現するならそういうふうに思う。

しかし私はその後<黒人のひと>とは出逢うこともなく、今に至っているわけだけれども、

その時に感じた感覚は決して失われてはいない。

とにもかくにも娘が言っているのは<白人のひととのハーフ>ということにしても、

「もし~だったらなあ~」と実現しそうもないことに思いをはせて、

あこがれたり、感動したり、ため息をついたりするのは若さの特権だなーと

ちょっと考えてしまったひとときでした。

そしてそう、たくさんそういう経験をしたらいいよ、

将来生きていくうえできっと糧になるから、と心のなかで思いました。