先日の日記で、畑について「気がかりなこと」と書きましたが、

それは、この畑は「もともと沢で、手賀沼の”ヘドロ”を埋め立てて、ダンプが通るために『凝固材』?で固めた上に、盛り土をしたもの」だ、と聞いたことです。

借りるまでまったく知らなかったのですが、長年借りているという方が、ポロっとそんな話をしたのです。

私は、ええっ!そんなことってあるの?!と絶句、非常にショッキングでした。

手賀沼といえば、「日本一汚れた」沼、ということで長い間知られてきました。

生活・工業排水が大量に流れ込んだ結果、ということです。

そんな「ヘドロ」が埋設された土地の安全性はどうなのか。

畑を借りている方たち、そして農協の人にも再三尋ねてみました。が、どうも私が驚くのに比して関心がなく、無頓着のようなのです。

事実、今ある畑の風景は、のどかそのもの。

農家が点在し森が茂る間に広々と広がる畑の、数十区画にもわたって熱心に栽培されている野菜たちは、みな同じように美しいのです。

それでも私は納得できる答えが知りたくて、相談できるところにしてみよう、と「農業環境技術研究所」つくば市)を検索しあて、メールをさせてもらいました。

その結果、返事をいただけたのですが、下記のようなものでした。(第三者に開示する許可はもらっています)


---------------

お問い合せの疑問に正面から答えるものになっているかどうか分りませんが、

私どもの意見を申し上げます。

埋め立てに使われた湖沼の底泥は、どのようなものだったのでし

ょうか。一般に、汚濁の進んだ湖沼の底泥は栄養分に富んでおり、ヘドロ状

を呈しても、乾かしてやれば、肥沃な土壌になります。秋田県八郎潟など

干拓地も、干拓当初はヘドロ状でトラクターも入れない状態でしたが、今

では、アキタコマチやメロンの産地となっています。地図を拝見しますと、

手賀沼のすぐ近くですし、かつて、沢のような場所がたくさんあり、その一

部は、排水等の工事を行って、農地に使われてきたのではないでしょうか。

地元の農協の方が、無頓着なのは、周辺ではそのようにして造成した農地が

少なからずあったからではないでしょうか。

心配なのは、埋め立てに用いられた底泥に、有害な化学物質が含まれている

かどうかだと思います。手賀沼はかつて家庭からの雑排水が流入していまし

たので、何か有害な物質が溜まっているかとご心配かも知れません。

ただ、埋め立て後、凝固剤(?)を入れて固化し、埋め立てに用いた土壌層

へ作物の根が侵入できないような状態になっているのであれば、あまり心配

はないと思います。植物の根が、埋め立てた土壌層へ入っていかなければ、

万が一その土層に重金属などの有害化学物質が含まれていても、作物は、こ

れらの有害物質を吸収できず、食用となる果実などの部分に有害物質は入っ

ていかないからです。実際、重金属で汚染された農用地では、表土に50cm

程度の非汚染土壌を客土して、汚染した土層へ作物の根が侵入しないように

することによって、安全な農作物を栽培できるようにするという工法が行わ

れています。

---------------


お返事をくださったのは、研究所内の研究者の方、ということなので、

ご専門知識の中からのお答えなのだと思います。(ご丁寧に返信くださってありがとうございます)

その内容から読み取れるのは、

・汚濁の進んだ湖沼の底の泥は、肥沃な土壌になりうる

・有害な物質が含まれていたとしても、固めて作物の根が進入できないようになっているのであれば、その表面に盛った土で安全な農作物が栽培できる

ということになります。


ここまで読んでくださったみなさま・・・

このことについて、どのように思われますか??。


私はそれでも、素人考えで、安全性についての心配はぬぐえません。

でも、見たところに広がっているあまりにものどかな風景を見ると、ここが「汚染されているかもしれない」という思いは頭の片隅に追いやられ、問題なんてぜんぜんないんじゃないか、という気持ちが自然と勝ります。


ほかに借りられそうな土地も今のところ見当たりません。

農園での楽しみは他に代えられないもので、続けていきたいと思っています。

だから、引き続きここを借りていようと思っているのです。

でも、「不安」を感じながらやり続けるのは寂しいです。


翻って思うのは、日本各地にこのような農地があり、栽培された作物のそういう経歴を消費者が知ることなく、口にしているのだろう、ということです。

また、どんなにのどかに見える風景でも、汚染がひそかに広がっていて、そこに住む人たちにも影響を及ぼしているかもしれない、ということがある、ということです。

そしてそういう中で、なすすべをみつけられない住人は、生きていく覚悟をしなければならないのだ、ということです。

とても悲しいことです。環境問題をより自分のこととして受け止め、受け入れ、人が自然に対してしてきたことの大きさを悔い、どうしたらよいかをもっと真剣に知り、実践していくほかにないと実感しました。


この、今回のT家にとっての「畑事件」は、非常にものを考えさせられるきっかけとなりました。