子どもが寝たので、PCに向かっている。

昨日書いたことについて引き続き少しでも知りたいので、キーワードに「土壌汚染」などと入力して記事を検索し、いろいろとサーフィンしてみる。

「学んだ」ことを箇条書きに(覚え書き)。

・汚染されてヘドロになったものを、肥沃な「肥料」として変換する技術研究が進められている。

・重金属で汚染された土に、ある植物を植えると、高濃度に吸収されるので、それによって土壌汚染を浄化するという技術がある。重金属を吸収した植物からは、その金属を取り出し、再利用する。

・「手賀沼」については、浚渫(しゅんせつ)工事が行われていて、そこで取り出された底泥は科学的な処理をした後、その残土は近隣の土木工事に使われている。残土の検査はしているが、その内容は公表されていない。(「美しい手賀沼を愛する会」会報参照)

・ある会社が、産廃用土を浄化しリサイクルする、という技術を開発し、承認を得た。そして、マンション建設のための用土に利用した。しかしその後、検査によって「基準値」を超えるある物質の検出があった。マンションの住民は不安である。結局、「リサイクル用土」というのは産廃用土のやり場に困ったためのその場しのぎのにせ研究のものだったかもしれない、と調査が進められている。

産廃処理の法律が変わり、処理のやり方が厳しくなったが、抜け道はたくさんあると指摘されている。

たとえば工場の跡地の用土の処理は、検査が義務付けられているが、操業中の工場の用地の運び出しは問題にされていない、など。


・・・・あちこち見ていると、「安心であってほしい」という期待感を盛りたてるような記事に納得したい、と思う反面、こういう負の場合もありうる、という記事に不安が増長させられる。

もっと言うと、たとえば手賀沼の底沼が「土木工事」に使われているということだが、住宅用の盛り土に使われる、ということもあるのか?と考える。あるとしたら、「自宅の庭だから安心」と思うこともできない。

こういうことに敏感でいなければいけないと思う。

もっと、隣近所とそういうことをみんなが話し合うべきだと思う。

でも、目の前の出来事やお天気の話に終始している。

それではいけないのだ、と自分を常に振り返らなければならない。