ご近所さん

T家は、J線K駅から約5、6Kmほど離れたところに立地している。

周辺は農地が残されていて、(一見)自然が豊かなところだ。

だが、ほんの歩いて数分のところからは、里山を切り崩し、ひな壇のように並べられた住宅や、公団アパートが立ちならぶ地域となる。

そうして、その中心部からK駅まで行き来するバスが、だいたい10分間に1本。およそみんな、都内のほうを向いて生活している。

T家は、北、南、西を農家の大~きな家にかこまれた、敷地がおよそ70坪ほどの、ちいさな家。

夫の地方出身の両親が家をもつのに、都内→千葉といくつか住まいを代えてきた最終地点が、

新居が立つ前に立っていた中古の住宅だった、というわけだ。

三方を農家にはさまれて、向こう三軒まで小さく区切った敷地がならぶうちの端っこの、ちょっと肩身のせまいような場所というわけなのだが、どうやら土地の権利図を見れば、この3区画は昔は北に位置する農家の持ちものだった土地のようだ。

その農家のZさんは、いつもとっても親切で、子ども(さと)がトコトコと走りこんでいってしまうと、おかしを出してくれたり、とれたての新鮮な野菜をくださったりする。

西隣の農家Mさん宅には、ユーキよりもひとつ上の男の子がいて、よく一緒に遊ぶ中になった。(写真)

まあ、ご近所さんにはとっても頼りにさせていただいていて、私は顔を見せて、のんびりと世間話などをしていれば、よいご近所づきあいができそう・・といったところなのかな。

そんな時、小さな子どもがいて、とってもよかったかな、とは思う。

そうでなければ、とってもふらっとおじゃましたりなどできなかっただろうし、住み始めたまま 「O団地→K市中心部→都内」 だけを見て過ごしていたかもしれない。

それでいて、何がほんとうの幸せかはわからない。

事実、このままどうもぬるま湯につかっているような生活に満足しそうな自分が怖くもあり、実際半分いくらか幸せでもあったりする。

駅近市内のアパート暮らしでは、どうにも感じられなかった気分だったりするのだ。

いずれにしても、つづいていく今後の生活の展開に、流れにまかせて期待してみるとしよう。