価値観

価値観がちがう、と感じる瞬間は、どうもどっと疲れる。

ワタシが一生懸命やろうとしていることを、否定されるような、まったく共感されていないというような態度で接せられることをされると、カチンというよりは、無性に残念というか、脱力感というか、悲しいというか、あきらめというか、もうどーしたらいいんだろうなあ~とむなしい。

まあ、考えてみたら私も口軽く「もうそれやめたら!」とか言ったりするので、お互いさまといえばお互いさまなのだ。

「価値観がちがう」と思うとき、ある時にはそれが発奮材料となってよけいにがんばろうと思えたり、互いに切磋琢磨できる機会となったり、考えを深くすることができたり、いい面に働くこともあるはずだ。

それに、「価値観がちがう」ということは、違う人間なら当たり前のことだ。

・・・という考えをしっかりと心に刻みつけて、前提としたら、もうちょっとソフトな会話として切り返すことができるかもしれない。

もうちょっと、互いを傷つけないように、上手に話したい。

要は、持つべきものの、簡単なようで難しい「思いやり」というやつが必要だ。

夫君よ、やっぱり私も気をつけるから、お互いに気をつけられたらいいねえ。

反抗や否定はやっぱり何も生み出さず、大きなものを作らず、先に進まないんじゃないか。

「共感」が、たとえそれが「共感のフリ」でも、それぞれを、そして夫婦や家族というものを大きい実にしていくんじゃないか。

自戒もこめて。