1987年、私は中学3年生だった。
そのころ俵万智さんの「サラダ記念日」が話題になったのも覚えているし、テレビでは「スケバン刑事(デカ)」が人気で、クラスメイトとよく真似をしてふざけあった。
そしてとにもかくにも「バンドブーム」で、赤城山が真正面に見える北関東の田舎でも(田舎だからこそ?)
友だちの家の倉庫の2階とか、農家のバラックなんかに
ドラムセットがあって、ギターやベースを持ち寄って
流行りのバンドのまねごとをして遊んでいるコたちが目立っていた。
高校生になれば軽音楽部でもうちょっと本格的にコピーバンドをしているグループがいくつもあったし、
街のライブハウスでの演奏に連れ立って聞きに行き、終われば打ち上げと称してみんなで居酒屋で騒いだ。そんな時代だった。
1991年2月に、バブルがはじけたことになっている。そのとき私は高校3年生で、適当な大学に進路は決まっていて、商業高校にいた友人で就職を希望していた子たちはぎりぎりいいところに就職ができたとほっと胸をなでおろしていた。
そんな数年間、私たちは団塊ジュニアと呼ばれて人口が山の頂点になっているような世代で中高を過ごし、数だけで勢いがあって、学校ではどんな教育を受けたかなんて、丁寧には覚えていないけれど、だいたい雑多に扱われて、それでもみんな強く生きてきたんだと思う。
とがってみたり、へこんでみたりしながら、人との関わりの中で多くの感情を経験し、そんな中に音楽があって、ブルーハーツが好きだと言っている友だちも複数いた。
そういう記憶のある私が、今になって撮られ、40代で観る「ブルーハーツが聴こえる」。
私自身はブルーハーツに心酔したことはなくて、ただ流行りの、威勢のいいバンド、というくらいにしか思っていなかったのだけど、あの頃の空気を体感しているからわかるおもしろさ、があり、6つの短編のモチーフはそれぞれだけれど、あの歌声が流れるとどれもが自分の中高生時代を思い起こさせるようで、郷愁にひたる感覚になった。
ところどころ一緒に観ていた中学1年生の息子はというと、コメディチックなところはおもしろい、とひきつけられて笑っているけれど、超現実的な雰囲気の作品をじっと鑑賞する根気はなくて、そんな場面になるといつのまにか隣からいなくなった。
それでも曲が流れると、聴いたこともない全然知らない曲、という扱いで、耳には入っていくだろうけれど、そこに何かをキャッチしただろうか。
たとえばもう10年してから私が観ても、私は変わらず同時代性と郷愁を感じると思う。そこから私はまた何かしらのメッセージを受けとり、自分のものとして考えごとをするきっかけとするだろう。
そしてハタチを超えることになる息子がまた観るとして、80年代半ばから90年代に入るまでの、あの時代に生まれた音楽と、そこからふくらんでいったストーリーを再びどんなふうに咀嚼して何を感じるか、また聞いてみたいと思う。
時代を越えて、懐かしのメロディーに終わらない思いを共有できたらいいし、それができる映画として、50代になった自分のために心の片隅にしばらくしまっておくことにしよう。