映画『樹海村』公式サイト (jukaimura-movie.jp)
観に行きました。
ホラー映画を映画館で観た記憶といえば、高校生のとき
ザ・フライ2 二世誕生 - 作品情報・映画レビュー -KINENOTE(キネノート)
を見にいった以来!?(笑)
「ホラー」と言われている映画を大画面で見に行こう、と思うとすれば、その目的は「キャーッ!」というスリルを味わいたい、ゾーっとして涼しくなりたい、怖いもの見たさ、などの動機があるだろう。
私はこれまでそういう気持ちをほとんど持ったことはなかった。
血とか、死がそのような理由で扱われるのも、気持ちがいいものではないし、道徳的ではない。
なんて四角四面のことを考えていたのだけれど、この映画を映画館で観るという経験が、あたらしい考えをもたらしてくれた。
現実世界では、死は非日常のようでありながら、とうぜん毎日起きている当り前の日常の一部だ。予測もしなかった不幸が不条理に次々と訪れることも、どこかでは、いつか起こる可能性がある。
それらを回避したいと私たちは思うから、わざわざそれを目の当たりにしようとは考えない。
しかし、映画館という場は容赦なくその世界に私たちを引き込ませる。自分の目につくところにも、もしかたら明日、「コトリバコ」がひっそりと放置されているかもしれない。
恋人や家族の気がおかしくなって、包丁を手に恐ろしいことをしようとするかもしれない。
なんて、平凡な日常が、がらっとくつがえされる想像をしないわけにはいかなくなる。
そんなことも、ある意味非常事態をイメージすることになり、平時のありがたみやもろさに思いを馳せるよい機会になったともいえるのではないか。
子どものころ、暗い森がこわかった。木の一本一本が人に思えて、その黒い手をこちらに伸ばしてくるような気がした。
けれど大人になってこわいと思うとすれば、そこに不審者が隠れているのじゃないかとか、現実的な思惑しか持てないようになる。
そんな子どものころの気持ちも思い出した。万物に神は宿る、という考え方がある。木がやわらかに動いて、根っこが急に這い出してきて、自分の足もとからはがいじめにされる。そんな妄想も、比喩として実際にありえなくもない気がしてくるし、発想が豊かにさせられ、楽しいともいえる気持ちになった。
夢と現実がつながっていて、夢かと思うことが起こったり、現実だと思っていたら夢だった、と目が覚めることがある。
古代から、強く思ったことが離れた人に通じ、気持ちが伝わると考えられてもきた。
自分自身や親しい人が過去の霊に呼ばれて死に向かっていく、なんて現実が、もしあったとしたら、私は受け入れられそうもないけれど、身近に訪れる死に、「なぜ?」と問いたい思いは必ず起こるだろう。
その理由をつきつめようとするひとつの答えに、その理不尽に思う気持ちを受け入れる過程として、過去の霊によって、自分からそちらの世界へやむを得ず、そして後悔なく、足を踏み入れていったんだ、と考えることもあるのではないか、なんて思えた。
そして、その映像が美しく、荘厳な音楽とともにあった、ということは救いで、思わず涙を誘うもので、私はエンドロールのあともしばらく席を立てない、という事態におちいることになる(笑)。
見にいったのは月曜日で、緊急事態宣言が延長されたさなか、しかも郊外のショッピングセンター内の映画館で、観客はそれほど多いというものではなかったけれど、そこにいた人たちは、きっと私と同じような思いを感じたのではないか、なんて勝手な連帯感を覚えた。
高校生の娘によれば、「樹海村、見た?」という会話がクラスでけっこう交わされているそうだ。娘自身は「こわいのは苦手」なので、私がこの思いを話したところですぐには理解してくれそうにないけれど、おもしろがって聞いてくれた。
まだ、上映は続いている。犬鳴(いぬなき)村からの次の第3弾「○○村」の○が何なのかもとても気になる。
しばらくは映画の余韻を脳内で楽しもうと思う。
そしてどなたか観にいったら、感想を言いあいたい。