いまは、動画も写真もかんたんに「シェア」「共有」できる。
いいな、と思ったら「見て!」とひとにいうことができる。
けれど、そのじぶんが感じた感動が、いったいどれほど伝わるのだろう、と思う。
小さく切り取られた写真・動画では、自分の目で見たなまなましさを
同じだけ感じてもらえることはありえない。
それでも、言いたい、教えたい、という気持ちに勝てず、
つい「共有」してしまうわけだけど、
ほんとうにいいな、と思ったことは、あえて「伝えない」こともある。
この感動をじぶんひとりのこころにしまっておきたい、というよりは
これを伝えたところで、伝わらないだろうな、とかんじるときの、ものさびしさ
かえって感じる孤独感
そういうものを、避けたいとおもう心理。
やはり、現場で、なまで、共有したい。
そこで、おなじくらい、ほんとうに感動した、という表情を
あいてからくみとりたい。
そう思えるあいて、それが
なかのよい友達や、こいびとや、はんりょだったりするとよいのであって、ひとりでも
そういうひとがいたら、さびしくはないのだろう、と思う。