「わの会」で味噌づくり

昨日はつくばの農家のご自宅で行う味噌作りに参加。

できたてほやほや、ほかほかの8kgのお味噌をかめにつめてきました。

国産大豆と、塩と、炊いた米に麹(こうじ)菌をまぜて米麹にしたもの、その3種類の材料だけでできるお味噌は本当にシンプルなのに、10ヵ月も経てばなんとも深い味わいをかもしだすのです。ホントに不思議。

私はこのお味噌作りに参加して3年目です。

8kgで我が家の味噌の消費量の半年分くらいは持ちます。

保管するカメの置き場所ですが、「雨や直射日光などには当たらないほうが良いが、季節(暑さ、寒さ)を感じさせる場所がいい」ということで、アパートにいた時は狭かったので困りましたが、今になってもまあ、なかなか最適の場所は見つからないのだけど、とりあえず2階北側のホールのはじっこと所定の位置を決めました。

とりあえずこうやって置いておくだけだけど、なんだかここに生き物を飼っているような、そして我が家の半年分の食料ここにあり、みたいな安心感と豊かさを感じます。

・・・災害時には何をおいてもこのカメを抱いて避難してしまうかも?


さてあとは、切るとバラの花の絵模様のできる「太巻き寿司」の作り方を教わって、お昼にいただいたりしたのですが、何よりも私がひかれてしまったのは、そのお昼のおそうざいとして農家の方が出してくださった、「干しダイコンの炒め物」だったりします。

干してしわしわになったダイコンを輪切りにしたものをそのままの大きさで油で炒めて、しょうゆとお砂糖とみりんで味付けをして、唐辛子でピリリと辛みをきかせたものです。

ああ、これはわたしの祖母が、遊びに行けばお茶うけとして出してくれたなあ・・・という思い出がよみがえりました。

冬、こたつに入ってポリポリと楊枝でさしてはつまんで食べる。

弾力性のある歯ごたえとともに、甘辛い風味が口いっぱいに広がる。

そこでまたお茶が飲みたくなり、その頃合いを見計らうようにして、祖母がまた熱いお茶をそそぎ足してくれる。

農家では冬、ダイコンがいっぺんにとれます。

それを保存するために、北風の吹きすさぶ中、干し竿に葉の部分をくくりつけてダイコンを乾燥させる。

そんなダイコンがのれんのように、刈り終わったあとの田んぼの真ん中にぶらさがり、ゆらゆらと揺れているのが田舎の冬の風景だった。

そんな中、「干しダイコンの炒め物」という一品は、もともとわざわざ発明された料理、というよりは、大量にできた干しダイコンをどうやって食べようか、というところから生まれた、冬にはそれしかない、ある意味マイナスの発想からの貧しい食べ物、であったのかもしれない。

けれども、食べ続けていくことでそれが忘れられない「おふくろの味」となり、世々受け継がれていく。

・・・はずが、スーパーで週に一度ほど、一本くらいの大根を買い、冷蔵庫の野菜室にしまい、ちびちびと切ってみそ汁の具にしたり、サラダにしたり、というような使い方しかしなかったサラリーマン家庭の我が家だったのだ。


しかし今、私は思い出した。

自分が体験してきたことを伝えたい、と思うのはどんな生き物も持つDNAのなす仕業だ。

ということで、さっそく冷蔵庫から半分くらいにまで使い込んだ(!)ダイコンを取り出し、拍子木切りにしてザルに盛り、家の窓際の一番暖かい場所に干しておいた。

実に、こういう料理は本来「わざわざ」作るものではない。

けれども、必要に迫られなくても、食べたくなって、伝えたくなって、作る。

そうやるのでなければ「伝統の味」が伝わらない現代では、「自然な」伝統の継承は本当に難しい、と実感する。

けれども、それを一つでも多くやることで、自分の子どものアイデンティティを育てるひとつに、たとえ細い糸のような希望だとしても、なるのではないか。

そういった思いを、危機感を持って親は実行に移していかなければならない時代だけれども、いや、また一つ私は思い出せてよかった。

中島さん方へ、昨日もまた、どうもありがとうございました。