教会

この10日の日記からすれば、教会はもともとの日本文化じゃない。

私は「日本文化じゃないもの」を違和感をもって見る。

でも、最近私は教会に通っている(笑)。

もともと、「子ども英会話やってます」の張り紙に心引かれた私。

きっかけは不純な動機?だ。

それが、「日曜学校にもぜひ」とのお誘いをいただき、

行っているうちに、非常に心引かれる部分があることを知った。

基本は、聖書を開く。

そして、その中の一文、一節を牧師さんが取り出し、解釈してくれる。

その解釈の内容は、私たちの身近な問題に即したものだ。

生き方や、家族や。

聞く者は、それぞれその心のうちで自分自身の問題に置き換え、考えを深くする。

良いのはそれだけじゃない。

「感謝」や「謙虚」の心を、臆さず口に出す、ということをすること。

自分が今生き、生かされていることへの感謝。

それをありがたく、謙虚に受け止めるよう自然とうながされる。

この一週間、自分がしてきた「罪」を振り返る時間をもつこともできる。

誰かにひどい口をきいたこと。ぞんざいな態度をとったこと。

いろいろと思い出されることを反省する。

それから、他人への「思いやり」の心をももてる。

誰かの道中の安全や、不幸が幸いになることを口に出して祈る。



ここは、週に一度自分をふりかえる、いい場になるのではないかと思う。



しかし、それでも私自身にとっての「違和感」はずっと残る。

「神様=イエス」様が登場すること。

キリスト教」なのだからあたりまえなのだけど・・・。

それでも、祈りの先が「イエス様」なのは、どうもしっくりこない。

「賛美歌」も良い。心が洗われるようなメロディだと感じる。

それは、自分が子どもの頃ピアノをやっていて、バッハなどのクラシックに親しんできたからかもしれない、とも思う。

ポップ的な旋律も多い。

ピアノとエレクトーンをベースに、混声のハーモニーで歌われる歌を聞き、ときに一緒に加わるのは、「歌声喫茶」(?!行ったことないけど(笑))みたいで楽しい。

しかし、その歌詞にはやはりしっくりこない部分がある。

賛美→イエス様only というわかりやすすぎる歌詞が、しっくりこない。

うーん、しばらくその葛藤をかかえながらも、「何かがあるかもしれない」ともうちょっと教会には通ってみるかもしれない。

(子どもも、日曜学校に同じくらいの子どもがいて、工作、お話などけっこう楽しそうな時間を過ごしている。)

そういえば、聖書の逸話の教訓話も、よくできている。

「親から」ではなく「それよりもずっとずっと大きな神様」という存在からものを言われることで、子どもに「正しさ」というものを身につけさせようとする。

・・・何千年もの歴史があるものだ。

私がどうこう言えるレベルではないとはわかっているけれども・・・。